bibliomanifesutus microscopium II

セメン樽に顕微鏡

綱豊卿覚書 (2024年3月歌舞伎座)

歌舞伎座2024年3月公演昼の部『御浜御殿綱豊卿』
好きだったところ印象的だったところの覚書。

  • 冒頭、水辺の風景を後ろにお女中たちが楽しく遊ぶ様子に春の真昼の光が溢れている
  • 手紙を見せろと迫る浦尾の意地悪っぷり。とりわけお喜世の立ち話の相手が兄だと返されてそれ以上突っ込めないと悟るや間髪入れずに手紙に話を戻すあたりの執拗さがすてき
  • 「ぜぜというものを持ってみたことがない」 一言で殿様の立ち位置が現れる。この殿、好きにならずにいられようか
  • お喜世の手を握る殿。老人ではなく«男盛りの»姿。なんであれを上品にやれちゃうのか
  • 江島の級長っぽさ。場面場面から伝わってくるのは、有能で権威があるというより忠実で真面目で親切だが少し軽率、という人物像で、後の江島生島事件をイメージしても得心が行く
    • 孝太郎さん、公演期間の半ばからお化粧を少し変えてより落ち着いた、面長を強調する感じになった気がした (合ってるか不明) けどそれがとてもよかった。敢えてはしゃいだ感じにしないほうが「若くして立場がある人」という雰囲気が出るのだなあと。後半の濃い色の打ち掛けがすっきりと格の高い感じで一層御祐筆らしかった
  • 勘解由と殿の師弟愛。挨拶する場面の互いに礼を尽くす姿、悩んで言葉に迷う綱豊を励まし促す勘解由。殿と家臣ではなく教え子と師がそこにいた。この後、教え子の為政者としての覚醒を師はどれほど喜んだであろうか、その早すぎる死をどれほど悼んだであろうかと思ってしまう
  • 案内役のお侍さんがどはんさむ。下屋敷番人小谷甚内、殿へのお目通りを嫌がる助右衛門に手を焼く明るいお方
    • 演じるの片岡松十郎丈。やだもう顔よし声よし姿よしで若き日の時代劇の孝夫さんみたいでしょう
  • 呵呵と笑っておいてぴしりと助右衛門に目を向ける殿
  • 殿の「どうだこの辺で」に対する助右衛門の「いやまだまだ」 の我慢比べ感
    • 拗ね者助右衛門の受け答えがどんどん「ふつうの言葉遣い」になっていく感じがとてもよい
  • 殿の扇子を持つ指先の優雅なこと。ぱたんと閉じる微かな音が第2ラウンドの始まり
    • 苛立ちとともにどんどん喧しくなる助右衛門の煙管の音と好対照。優位にある側は微かな音で場を変えられる
  • 怒る殿様。「その続きが聞きたい」の立ち姿と横顔
  • いぢわる殿様。鶯の話を蒸し返したりわざわざ2回上杉の名前を出したりするときの実にたのしそうなご様子
    • ここで江戸城に登る口実として殿が言及する清揚院の命日は、Wikipediaによれば9月14日。ぜんぜん明日じゃない! 殿様のいぢわる!!
  • かーらーのー、背を向けてぎりぎりとした声で発する「何か用か」 この振り幅よ
  • 「忘れるなよ そちゃ我に憎い口をききおったぞ」 これってすなわち憎い口は図星であった、己が作り阿呆であると同じく内蔵助も変心などしていないのだと教えているのだと、月の半ばで気がついた
  • 助右衛門とお喜世が押し問答してる背後、お喜世の嘆く声と同じ高さでお女中たちの笑い声が聞こえるところ (際立つ彼らの無力さよ
  • 能舞台からの廊下をつーっと通っていく能役者
    • 春の闇、静かでざわざわする
  • 能装束で出てきて仕草で女中たちを帰すところ。鈴の音が良き
  • 立ち回りで少しだけ散る桜。少なさが良き
  • 津久井九太夫「ややっ狼藉者」から殿様に構うなって言われて下がるところが助右衛門の取り落とした槍が転がっている場所で、さりげなく槍を無視している感じにいつも口角が上がる思い
    • 澤村由次郎丈、映像で「荒川の佐吉」を観て以来ずっと好きだったので今月拝見できて嬉しかった。由次郎さま、わたくし、あなたさまとひとつ共通点がありますですのよ
  • 水雑炊ならぬ阿呆払いからの江島「心得ました」七段目の裏返し
  • 晴れやかな「わしが出じゃ」 六代将軍としての道を歩む覚悟を決めた殿様の姿でもある
  • 最後に助右衛門と目を合わせて厳し優しい顔で少しうなづく殿 (もしかして彼らはここで初めてしっかり目を合わせるのでは
  • 能舞台へ進んでいく美しい美しい美しい姿

あらためて思い出されるのは春の真午から夕暮れそして夜までの、ゆっくりだけれど着実に流れる時間の速度であり、«浪人と殿様がぎりぎりと言葉を交わし心底に迫り合う»というようなことが起き得たのも、上下なしのお浜遊びという特別な一日ゆえだったという気がする。
千穐楽から数日経ってもまだまだ溢れてくる。