少し前からこの週末は札幌に滞在する予定があって今月の仁左衛門さんのお芝居は16日に観たら次は千穐楽と決まっていた。
昨日SNSで、仁左衛門さんの体調がよくないらしいことを知り、その後、残り2日間の公演のうち本日21日の休演が発表された。24日の千穐楽については決定したら発表されるそうだ。
一通りの状況 (舞台の上で体勢を崩されたこと、御本人と共演の方々との見事な連携で舞台を無事に終えられたこと) を把握したうえで、しばらく ― 千穐楽のことがわかるまで ― 情報を遮断して引きこもることにする。
(ついでにいうと一番見たくないのは「無理させないでゆっくり休ませてあげてください」みたいな感想。それは舞台に立つ人への敬意ではないと思う。ばかじゃない?????)
砂に頭を突っ込むダチョウメンタルなので現実逃避が基本姿勢である。ファクトは2つだけ、「仁左衛門さんは21日は休演」「24日についてはこれから発表される」。24日に仁左衛門さんが出演する確率は50%。
起きてもないことを楽観的/悲観的に予想して消耗するのはだいぶ愚かなのでやめとこう、とわたしの半分が言い、残りの半分は (ああにざさまにざさまにざさまにざさま) ってずっと繰り返している。
そういうときはお祈りをする。主祷文1回・天使祝詞10回・栄唱1回で1セット。ほんとうは己を空っぽにしてお祈りに委ねなければならないのかなと思うけれど、わたしはそのすきますきまにお願いごとというか神様に言わなければならないことを挟んでしまう。
いちばん我儘な願いは仁左衛門さんが何事もなく復帰してわたしが24日に仁左衛門さんのお芝居を観られること。でも祈っているとそれが分解され検証され反省される。そうじゃない、わたしの願いは、もし仁左衛門さんが舞台に立ちたいと思われるならそれが叶いますように、休みたいと思われるならそれが叶いますように。仁左衛門さんが苦しかったり辛かったりしませんように。仁左衛門さんがこうありたいと思うあり方であることができますように。
ああこんな事を打っていたら涙が出てきてしまった。3列目花横で観た姿を忘れずにいよう。3階席から見た横顔を覚えておこう。あちらこちらに転がる画像や、他の人の綴った言葉から想像したものに上書きされないように、そんなに視力は良くないけれど自分の目に映った仁左衛門さんを刻んでおこう。
そういえばなにかを«思い浮かべる»ってどういうことだろうか。今目の前で見ていないものを像として思い浮かべるとき、見えているのは不確かで身勝手な想起の断片の都合の良い集合体だ。それを繰り返し引き出し、検証し、不純物を取り除いて大切な記憶というラベルを付けて再び取り出せるようにしまっておく。それはあのときあの場所で起きたことと同じではない。同じではないけれどわたしにはそれしか残されない。
なるようにしかならぬ、とわたしの半分が言い、のこりの半分はやっぱり (にざさまにざさまにざさまにざさま) って言っている。梅になって飛んでいきたい。