鮮明な夢は

鮮明な夢はそれが夢だとはっきりわかっているうちに書き留めないといつか正気を侵食するのではないかという気がする。

 

原宿駅で止まっている山手線に飛び乗ったら車庫行の車両でNとともにどこか離れたところまで運ばれてしまう (原宿駅の解体のニュースが入り込んだようだ)。

行き着いたところで (埼玉県のどこかだと認識している) 現れた乗務員に叱られるかと思いきやなにか上機嫌で饒舌な人で、お菓子をくれたりする。ああそうかずいぶん退屈してたんだなと思う。

英語のレッスンに関係したべつの場面が挟まったあともういちどこの夢に戻る。

場所が少し変わって座敷のような部屋で、乗務員ともうひとり若い助手の人がいて、やはりもてなしてくれようとする。ふと見ると窓の外が海で、(埼玉県にいると思っていたのに妙だ) と気がついて覚醒。

5月に

CHANSON DU MOIS DE MAI 私訳

驢馬と王様と私

私たちは明日死んでしまう

驢馬は飢えで

王様は退屈で

私は愛で

チョークの指が

日々の石盤に

私たちの名を記す

そしてポプラを吹く風が

私たちの名を呼ぶ

驢馬 王様 私

黒いぼろ布の太陽で

私たちの名は消されてしまった

牧草地の冷たい水

砂時計の砂

赤いばらの木のばら

みちくさする道

驢馬と王様と私

私たちは明日死んでしまう

驢馬は飢えで

王様は退屈で

私は愛で

五月に

生はさくらんぼ

死はその種

愛はさくらんぼの木

 

 

L'âne le roi et moi

Nous serons morts demain

L'âne de faim

Le roi d'ennui

Et moi d'amour

Un doigt de craie

Sur l´ardoise des jours

Trace nos noms

Et le vent dans les peupliers

Nous nomme

Ane Roi Homme

Soleil de Chiffon noir

Déjà nos noms sont effacés

Eau fraîche des Herbages

Sable des Sabliers

Rose du Rosier rouge

Chemin des Ecoliers

L'âne le roi et moi

Nous serons morts demain

L'âne de faim

Le roi d'ennui

Et moi d'amour

Au mois de mai

La vie est une cerise

La mort est un noyau

L'amour un cerisier

 

2016年ライヴの記録

4月15日 TETSUYA Billboard Live Tokyo
4月29日 TETSUYA 恵比寿ガーデンホール
5月3日 Perfume 仙台
5月12日 Perfume 掛川
6月16日 Perfume 幕張メッセ
6月18日 Perfume 幕張メッセ
6月19日 Perfume 幕張メッセ
6月25日 TETSUYA ハワイ
7月3日 Perfume 札幌
7月31日 LAB.THE BASEMENT 新宿ロフト
9月3日 Perfume NY
9月4日 Perfume NY Hammerstein Ball Room
10月3日 TETSUYA 赤坂ブリッツ
10月5日 TETSUYA 大阪BIGCAT
10月6日 TETSUYA 名古屋ダイヤモンドホール
11月12日 Perfume 福岡
11月27日 EGO-WRAPPIN’ 日本武道館
12月22日 TETSUYA 新高輪プリンスホテル飛天
12月27日 JACK IN THE BOX 日本武道館

チケットあったのに行けなかったライヴ
2月13日 LAB.THE BASEMENT 整番1桁
4月8日 LAB.THE BASEMENT 整番10番台
10月7日 LAB.THE BASEMENT 整番1桁
12月18日 EGO-WRAPPIN’ これは無事譲れた
12月20日 LAB.THE BASEMENT 整番10番台

(言葉の塔に閉じ込められて ぼくは見る)

*1

 

鮮明すぎる夢のあとのふわふわと不安な時間から戻ってくる縁になるのは隣りにある生きた存在だ、ということに気づいてきた。独りで暮らす人がなにかしら生き物を飼う理由はそれだろうか。わたしの言葉がわたしのものであり続ける保証はどこにもない。わたしは勇気ある散歩者であり続けられるだろうか。

茹で栗とわたし

父のリクエストで季節ごとにいろいろなものを買ってきた。

初夏には空豆、秋の初めには秋刀魚、それから栗。

実家近くの八百屋さんで、一番上等なのを20粒くらい買う。

ただ茹でて、皮を剥いて、日本酒と一緒に2粒ほど食べる。

わたしが一部もらって帰り、残りはひとりで数日かけて楽しんでくれた。

*1:ディラン・トマス 「とくに十月の風が」

The End of キリギリス一家

事前に完全な文章には落とさず、メモも見ずに話したので、忘れないうちに書き残しておく。できるだけ、話したそのまま。

本日は、このような悪天候の中、また週末の早朝という貴重なお時間を割いておいでくださいまして、ほんとうにありがとうございます。
父、____は、19__年_月_日、今は中国の大連で生まれ、幼少時に数年間を日本の内地で過ごした後、少年時代を大連で過ごしました。旅順高校在学中に終戦となり、帰国して、少年時代からの願いであった法律を学んで高校と大学を終えました。
その後、会社員となり、旧姓____と出会い、結婚し、娘が生まれ、娘が少し大きくなると、美術館、音楽会、バレエやお芝居に連れて行き、一緒に科学の実験をし、数学の問題を解き、書物は好きなだけ与えてくれ、どういうわけか綾取りとお手玉まで教えてくれました。
子供の頃に始まった父との会話は、ギリシャ哲学から漢文、美術や音楽、科学、それから駄洒落や言葉遊びにまで及び、大人になっても、ついこの冬までずっと続いていました。
俺はラディカルな無神論者だ、葬式なんか簡単でいい、ただモーツアルトのレクイエムを流してくれといつも言っておりましたが、あるとき「ところでお父様、レクイエムは宗教曲ではないでしょうか」と言いましたら実に嫌な顔をしておりました。今日はベーム指揮のレクイエムを流して、子供の頃からの約束をなんとか果たせたかと思っております。
無神論者といいながらも、父にとって法の精神と学問の力は、常に信じ服するものだったことに私は気がついていました。
わたしが「こういう人と結婚しようと思います」と話したとき父は、「日本国憲法第24条に『結婚は両性の合意によってのみ成立する』とある。従ってこれは君の権利である、おめでとう」と言いました。こんな言葉をこっそり用意していたのかその場で口をついて出たのか、ほんとうに父らしいと思ったものです。
学ぶことが好きで、生きることを楽しみ、権威を嫌い、一過性の流行を嫌い、一見とっつきにくい人のようでいて、ひとたび打ち解けると相手に献身的に振る舞うところもあったと思います。
わたしにとっては、いつも知的好奇心の道の先を行く存在であり、母の病に際しては、母のために一緒に闘う同志でもありました。
身体の許す限り、楽をするよりも自由と自立を選ぶ生き方を貫いてきましたが、先月の半ばに心不全の発作を起こし、入院した直後には普通に意識があり話をしていたのですが、数日後から眠ったまま目が覚めなくなり、昨日、_月__日午前4時8分に息を引き取りました。
生前の父を支え、助け、愛してくださった皆様には、この場を借りまして、心からお礼申し上げます。
そしてできればこれからも、皆様の心のどこかに、よく飲み、よく笑い、よく理屈をこねた父を、置いていただけましたら、娘としてこれほど嬉しいことはありません。
ほんとうにありがとうございました。